ここでは「シンボル」とはなにかについて考えてみます。「サイン」や「声・言葉」とはどう違うのか、そして「(視覚)シンボル」はどう使われるのかについて説明したいと思います。 サインとシンボルの関係 ピクトグラムは視覚サイン(「記号"sign"」)の一種という捉え方が一般的ですが、実は「記号"sign"」はその働きに着目すると「シンボルsymbol」、「シグナルsignal」、「インデックスindex」という三つに分類ができます*。これらに沿って考えてみたいと思います。 清水の分類(岡本1982;浜田1988他一部改変) * ● ● ●
ちなみに、この必然的ではない関係性を言語学では「恣意的である」*と言います。従って、言語はすべからく恣意的であり、シンボルであると言えます。 ● ● ●
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「視覚シンボル」のはたらき では、「視覚シンボル」という概念について、シグナル、インデックスを含めた三者の関係およびサインという全体から考えてみます。 なんと言っても 「声・言葉」がコミュニケーションの視点からはシンボルの代表だということに違いありませんが、「視覚シンボル」も同様に豊かな働きをすると考えられます。たとえば、人の心に恐れなどの情動や感情を生じさせることもあります。 ● ● ●
「シグナル」といえば、その代表はその名の通り交通信号でしょう。 とりわけ車道では青で進む、赤で止まる、という確かな強制力をもっています(日本では顕著に)。では、ロゴマークなどで使われるサインも強制力をもつシグナルになりえるでしょうか。 卍(まんじ)は日本ではお寺の「サイン」ですが、大昔には幸福を祈るという意味や太陽の象徴として世界各地で使われた宗教的なシンボルだったようです。しかし、ドイツのナチ党が1920年よりこの卍を基にハーケンクロイツ(逆鉤十字)を作りそれを用いてユダヤ人弾圧を旗頭にしたナチス・ドイツ国となった結果、ユダヤ人にとっては恐怖心や悪、憎しみといった強い感情を引き起こす視覚シンボルになりました。 まんじ ハーケンクロイツ ● ● ●
次に、インデックス(標識)の例です。例えば、ゾウの鼻の形はゾウだけのもので、一度見たら忘れません。人工物でも、電車の屋根のパンタグラフで電車全体をイメージできますね。 ゾウにおける鼻、電車の一部であるパンタグラフがインデックスです。園児はお遊戯でウサギの耳を着けるだけでその子がなんの役かが分かります。 ウサギの耳を付けたウェイトレスをバニーガールと呼びますが、その耳が可愛いbunny(ウサギ)をイメージさせます。バーやキャバレーでその耳が視野に入ったとたんに快感を引き起こすドーパミンがでるお父さんたちも多いでしょう。 その生みの親であるPLAYBOY誌のシンボルは良くできていますね。 PLAYBOY誌シンボルマーク
(c)Playboy Enterprises, Inc. |
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コミュニケーション用の視覚シンボル 上記のように「視覚シンボル」という用語は、「サイン」(「記号"sign"」)の中でも言葉と同じシンボル機能を重視した用語と言えます。例えば、母親の靴、自分の靴など、沢山の「靴」のイメージを、頭の中で分けた上で「靴」の働きや共通の形を取り出して、靴の絵カードとマッチングできるということです(凄いことです!)。つまり、「声・言葉(音声言語)」と同じように象徴機能をもつことができることに焦点を当てています。 では「視覚シンボル」は、交通標識などのいわゆる「サイン」とその用い方においてどのような違いがあるのでしょうか。 下のピクトを見ると「男子トイレ」を連想する人が多いでしょう。しかしコミュニケーション用の視覚シンボルのルールでは、原則として「人」を意味します。基本的には見た通りということです。「男性」でなければ、多くの人にとって連想可能な「人」、「お父さん」、「叔父さん」、「男の先生」など、「人」か「男」であるという範囲でシンボライズしてもらうことを前提としえいます。図にはない「トイレ」という恣意的な意味はありません。
トイレのサイン(男女のピクト)では、予め案内を必要とする人を想定して作成され、入口や駅の通路など特定の場所に掲示されています。何よりも、トイレを探している人を案内するという大前提のルールがあります。 トイレに行きたい人 + トイレがありそうな場所=男女のサインが機能 という「サインの文法」を前提にしています。 コミュニケーション用シンボルのルールでは、シンボルの絵と伝えたい意味とが形・イメージ(象形性)において近かったり、誰もが直ぐに連想できるものでなければなりません。 それが基本的なルールであり、恣意的な学習(言語獲得)が困難である人々を想定しているからです。 さらにそうした人々の伝達方法は直接的です。例えばAさんが指した便器のシンボルは、伝えたいAさんの頭にあるイメージですので、それを「トイレに連れて行って」「トイレはどこ?」などに結びつけることは、二人の関係性やその時の状況に依存します。 その時々で、健常者はAさんの立場に立って、指差しがされたシンボルからAさんの意図を推し量って「何をしたいのか・して欲しいのか」を読み取ることが求められます。運動障害などで表情や仕草では伝わらなかったりもするのでここが重要となります。 トイレは一例ですが、このような対応方法は、赤ちゃんの欲求を読み取る母親と同じように、コミュニケーション弱者への対応であり「間主観的*」な方法、コミュニケーションの基本といえます。 ▼FaceBookページではピクトグラムや人工言語についてのアイディアなどさらに詳しい記事がご覧いただけます。
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